ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

お茶会の顛末2

この二人と
何度も会って接してて、何か違和感を感じた。
そして、どうにも気分が良くない。


本人達的には、自分達の考えで進めれば上手くいくという認識で
たぶん悪気はない。



あれが、心情を傷つけられるという状態だと知るのはこの時から何年も後の事だ。







当時
この違和感がなんなのか、
二人のブログをそれぞれ読んでわかった。
時に文章というのは、その人が普段どう考えているのか
対面で話すよりよくわかったりするものだ。




彼らは
何かに阿る事が良いという価値観なのだ。
しかもただ単に人からそうされるのが当たり前と感じているというよりは、
かつては自分もそうしてうまくいったから
うまくいくためには他人も同じようにして当たり前という考えの可能性が高いと感じた。




そんなの当たり前でしょと思うかもしれない。



実は当たり前じゃない。
世渡りうまい人にとっては当たり前かもしれない。
(人によっては、仕方なくそうしてる人も多くいるかもしれないけど、
それは本人的に仕方ないから仕方ないかもしれない。)




問題は、この二人が一般的な多くの人達とは違う仕事•生活•人生なのに
一般的な多くの人達と同じ価値観だという事だ。






この二人、あきらかに多くの一般の人達より階層?が上の人生を送っている。


秘書の人は両親が会社経営していて、
本人も学生時代に起業して相当うまくいって一度も雇われて働いた事がない人。
資産家の人とも雇用契約ではなさそう。


資産家の人は、実業家であり芸術家でもあり、そして資産家。


あきらかに世の中の多くの人とは違うのに、
世の中の多くの人と同じ。
秘書の人はともかく、
資産家の人は
誰にも阿る事なく生きていけそうな人なのにおそらく実際は違うのだ。


なぜそんななのか理解出来なかったけど、とりあえず興醒めした。



そもそも私はその価値観には賛同出来ないし。


会社員として働くと、どこの職場でもいくらでもいるようなのと、
なんで会社員以外でも接しなくてはいけないのか。


だったらまだ会社員のみとして働いてた方がいいって思った。




結果、一緒に何か出来るかもみたいな流れになっても
私は一緒に出来ないと感じた。






なんでこの二人までそうなんだろう、と当時は全く分からなかった。



でも今なら分かる。

これが世の中の人の限界だという事だ。



たとえどんなに恵まれた人生を生きていようと、
どんなにお金を稼ぐ能力があろうと、
この人達は何かの奴隷なんだと気づいた。


これはこの二人だけではない。


人によって、それは時間かもしれないし
お世話になった人かもしれないし
お金かもしれない。

会社員なら上司とかそもそも会社自体とかだけど。

個人事業主や経営者なら国税庁とか自分のお客さんとか取引先かもしれない。







私、かつてはお金さえ稼げれば脱奴隷と勘違いしていた事もあった。
でもそれは違うと気づいて方向転換した。


世の中の多くの人達も
かつての私の様にお金さえ稼げればなんとかなるとまだ思ってる様だ。
(私の様に脱奴隷という発想はなさそう。)




もうすぐ、
どんな人も
なんともならなくなるらしい。




これは会社員かそうじゃないとか
富裕層かそうじゃないとか
関係なし!



人類共通!!





早く皆で方向転換!!