ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

重労働

昔から、自分は体力があるほうではないから
どんなに努力しても理想とする活動的な状態にはなれないと思っていた。


これはもしかしたら違うかもしれない。


その一方で、そこに甘えてあんまり動かないのはほんとに動けなくなりそうって思ってた。
(当時は気虚がどうとか知らなかったけど)




これは正解だ。




意外と私は運動不足ではない。運動ばっかりしてるわけでもないけど。




一日中座って、それを毎日毎日っていうのはほんとに身体に悪い。
あと、一日中立ちっぱなしを毎日毎日っていうのも何かが削られていきそう。




身体の使い方に偏りがあるという事がよくない気がする。




個人的には外で運動出来るのもよいし
室内でバレエのレッスンみたいな事を軽くするのもいいなと思っている。


そもそも体調おかしい場合は治すまでそんなに運動出来ないんだけど。



バレエ習ってた頃は、ほんとはバリバリレッスンしたかったのに無理だった。
バレエ出来るような体質じゃなかった。もともと血も足りてなかったしね。
途中でレッスンは無理なく家で一人でやった方がいいと気づいた。
趣味ならそれで十分だし!



そもそも当時の仕事!
自分が世の中の多くの人に比べて相当な激務こなしてる事にあんまり気づいてなかったんだよね。


もちろん周囲の人、友人知人も含め私がそんな事してるなんて誰も私以上に気づいてなかった。話しても入らないんだよ。


私の説明がいまいちかと思ってたんだけど、相手の方だね。これは先入観なのかもしれないし、想像力の欠如なのかもしれない。何より自分と他人は同じと考えていたり、自分の知る世界が全てだという認識のせいもあるのかもしれない。


今となってはこれに関しては分かってもらえても、もらえなくてもどっちでもいいと思っている。話をきいてもらえて同調してもらえるだけなんて私にとっては正直どうでもいい事だ。(これは漢方薬のカウンセリングを受ける時とかにも言える事。)

自分と違う視点から意見もらえたりするとありがたいし新鮮で面白いんだけど、なかなかそういう人いないよね。



それに私、たぶん大変そうにしたり、辛さを滲み出したりとかしてなかったんだと思う。
だってそれが自分にとっての当たり前だったから。
対してほとんどの人は皆そんなに大変でもない事を大変といって辛そうにしたり避けたがるから、
大変な思いしてるのは自分だけじゃなくて皆同じと思ってたんだよね。


いやたしかに誰でもそれなりに辛く大変な事があるのはわかる。でもそこで適当にしたり逃げたところでちょっと気が楽になるだけで奴隷状態から解放されるわけではないから結局ほんとに楽になんてならない。だったらそれなりに頑張った方がいいと思ってたよ。





自分の認識って必ずしも正解ではないけど、多くの人と一致してもいない。



そう考えていくと、思い当たる事がいろいろある。



私、ずっと自分は運動音痴だと思っていたけど、
もしかしたらそうでもないのかもしれない。



他の人がやたら時間かかって出来るようになる事が、
私はすぐに出来たりする事がたまにある。



気血両虚すぎて運動出来ない状態にあるだけで、
けして運動音痴ではないという可能性とかも考えてしまう。
私もともと体動かすの嫌いじゃないし。



気血両虚でもなんでもなさげなただの運動嫌いな人の中には、
運動するのは疲れるからやだ言う人いるけど、
そういう人でも会社行けば相当疲れる事をしてる。



会社員のデスクワークってあれ実は相当な重労働なんだよ。
ほぼ同じポジションに常に腕があって、視線もほぼ同じ先を維持。常に座位で脚はほとんど動かさない。
あれが出来るなら、バランスのいい運動も出来ると思うよ!


世の中で働くと会社に相当エネルギー持ってかれるのはわかる。
しかし今時身を粉にして働く人なんてそうそういないだろうから、きっと誰でも軽い運動くらいは出来るさ!



私も自宅で軽めのバレエの自主レッスン再開したいんだ。でもそれには部屋片付けないと•••。


だって今パッセしただけで物にぶつかりそう。
開脚したら脚で物を押して転倒させてしまう。
ああこんなんじゃフェッテなんて到底無理だ。←フェッテはもともと出来てない。



昔、ちゃんと整えられた状態でシェネしたら本棚に激突した。

ただでさえこれなのに、いまの部屋で何か動きのある事したら惨事になるね。