ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

モーセの杖を蛇に変えた人の話

ある時、この人のオフィスに遊びに行くと、
この人がデスクの上に一通の封筒を乗せて苦々しく考え込んでいた。



「どうしたんですか。」



この人は、その封筒を縦にねじる様にくしやっと丸めて、


「この手紙の差出人ね、杖を投げると蛇が現れるんだ。
そして杖を持って座ると、蛇が巻き付いて杖そのものになって静止する。気持ち悪いよ。」



と言って、ねじり丸めた封筒をゴミ箱に勢いよく放り込んだ。





私は当時、何のことだかさっばりわからなかった。
そもそも、そんなに自在に蛇を操れるものだろうか。
どこまで本当かわからないが、そういう人がこの人の知り合いにいるらしかった。




私はこの人の事をやや気持ち悪いと思っていたけど、
そんな人が気持ち悪いというだなんてよっぽどなんだろうなと思った。



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今の私には、これが旧約聖書4章3節のモーセの杖を模しているという事がわかる。
模している事が事実だとしても、モーセのそれとは全く別物だという事はいうまでもない。
そもそも本当の話なのかあやしいところでもある。



この人は、クリスチャンというわけでも無さそうなのに、やたらキリスト教の話をする人だった。




「イエスに付き従った12弟子を知らないの?」

「知りません。」




日本において、聖書を読む専攻をしていたりクリスチャンの家系だったりでもない限り、
普通は知らないと思う。
日本はキリスト教の国ではないからだ。


加えて日本人は宗教アレルギーの人が多く、普及しない。
私も宗教アレルギーぎみではあった。


ただ、私の場合は、イメージで宗教が嫌、興味ないというのとは少し異なっていた。



キリスト教に関しては、もとは本物だろうなと思っていたけれど、
どこの教会も違うものに乗っ取られている、
つまりキリスト教であってキリスト教ではない、という認識が10代の頃からあった。
だから、下手に宗教に近づこうとは思っていなかっただけだ。





ちなみにこれは真実であると、この時から18年の時を経て知る事になる。






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いま考えると、この人に聖書を読んで深く味わうどころか、
内容を理解するのも無理だろうという事がわかる。
ではなぜ、やたらとキリスト教の話ばかりするのか。




意外とどこかの教会に通っていた人なのかもしれない。





ただ、私はこの人から、
自分はクリスチャンだ、とか、どこどこの教会に通っている、とか
そういった話は6年もの間一度も聞いた事がない。




知り合ってすぐの会話の中で私が、宗教には興味ないんで、宗教は無理なんで、って言ったからあえて言わない様にしていただけかもしれない。