ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

弟子にされそう番外編:不遇への嘆き

このコンサルタントの人は、会話の中で度々自らの過去の不遇について語っていた。




自分が不遇の状態におかれる時というのは、だいたいにおいて自分の性質に良くない部分があるからで、どういう原理が働くかは具体的にわからないけど、その良くない性質が脳に悪い選択をさせているような気がしてならない。





でもこのコンサルタントの人は根本的に認識が違っていた。





このコンサルタントの人と話していて一番解せない部分がここ。この人はあくまで自分は犠牲者で、その犠牲になった状態から自分の力だけで見事に復活を遂げたヒーローであるかのような位置づけで自分の事を語る。(そしてやってくる顧客のほとんどを不幸にしている。なんてヒーローだ。)




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もし私の読みが当たっていれば、このコンサルタントの人の全ての原因はここにある。もしかしたら本当にただ単に不運であっただけかもしれないけど、この人と結構話した感じだとどうしても不運の一言ではまとめられない何かを感じた。この人から語られたセンシティブな過去の話は断片的かつ一部抽象的で結構ぼやかされていたけど、話を聞いた感じだと、何かこの人自身が見落としている事や無意識に誤魔化している事があるように思えてならなかった。




私、自分が失敗したり低迷し続けた期間の事を考える時、自分がただの被害者であるかのように考えたくなる気持ちはもちろんあるけど、そこであえて冷静になってひとつひとつ紐解きながら記憶を遡ってみるの。やっぱりおかしい事してるんだよね。してはいけないことをしている。そこから無意識に自分に不利な選択をするという連鎖があったように感じる。これは脳にそういった選択をさせるというなんらかの働きかけがあるんだと思う。





私、そういうの自分の中で誤魔化せない。このコンサルタントの人みたいに誤魔化してその上に何かを築きあげてしまうということが出来ない。そうなってしまったら、もう身動きが取れない状態だと思う。そんな状態になるよりだったら、自分で自分のしたことに気づくまで右往左往して生きてる方がまだ幸運だと言える。





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このコンサルタントの人が、自らの類まれなほどの不遇な過去について語る時、決まって「俺はお前なんかよりずっと大変な思いをしてきたんだ、だからそこから復活した俺の方が偉いんだ」とでも言わんばかりの勢いで威圧してくるし、実際その様な内容の事を言っていた。




この精神構造、わからなくもないけどこのコンサルタントの人が現在進行形で自分は不遇を味わっているという証明になってしまっている。この人、今の自分はどうでもいい人間関係が切れてライフスタイルも自由、素晴らしい人々との出会いがあって幸せだと言っていたけど、おそらくそう思い込みたいだけだ。この人の日常についての話を聞いていると、仕事をしている時や出かけている時は非常に活力に満ち、自己重要感に満たされているけれど、仕事がまったくない期間(つまり依頼がない時)に家で一人でいる時、なんともいえない気分にさいなまれている、そんな精神状態が見えてくる。家で一人でいる時、具体的にはどういう気持ちなのか私にはわからない。そんな精神状態になってしまう具体的な理由も私にはわからない。





実際、「俺の気持ちはお前には分かんねえよ。」と言っていた。
だからわかんないっつってるでしょうが。




そもそも、この人の味わった不遇とやら、まるで何一つ自分と関係ないところから突然やってきた不幸にたまたま自分があたったかのようにこの人自身は認識しているけど、そんな認識しか出来ない事それ自体がもうすでに不遇の人生と言える。




この人「俺の気持ちは誰にもわかんねえよ。」

中2かしら。





この人が自分の過去の不遇時代について語った時、
私は必要以上にプライバシーを侵害しないように気を付けながら、
一体どんな根本的な原因があってこの人の身に不運がおそいかかったのかと
話を聞こうとしたら、



「おまえに何がわかる。」



だそうです。会話終了となりました。





たしかに私はぱっとしない期間が長く、耐えてばかりでも、

そのわりにいろんなもの得られてるよな・・・。
恵まれた展開、用意されたかのような人間関係・・・。・・・。・・・。




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もう自分が不運なのか幸運なのかわからないよ!!!