ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

こんな会社がパリとかN.Y.とかまかり通っていいわけない3

モデル発見記11。







この会社、パリとN.Y.にグループ会社があった。

その為、この会社で社員だった人が
パリやN.Y.のグループ会社で働き始めるというパターンもあるらしかった。



そして、この会社で5~6年くらい勤めた人達の中で
本人の希望と社内選考で行われていたのが、


パリ研修

N.Y.研修


だった。



パリでグループ会社が借りたアパルトマンに住みながら
向こうで仕事したり研修受けたりいろいろ見学出来たりするらしい。
場合によってはパリコレのバックステージに見学に入れたりもするとかなんとか。



ふうん。


当時
この会社の人達から
パリに行ってみる事をすすめられたけど、
まさかここで社員として何年も働いて
パリ研修行くメンバーに選ばれろって事じゃないですよね。って心に波紋が広がった。


ざわざわ・・・。


なにそれ。なんでそんな心がざわつく事を言ってくるのこの会社の人。
こんな会社で5~6年もいろっていう事・・・?
なにそれ心が相当ざわつく。



”こんな会社。”



詳細は後日。








ちなみに、当時私以外にも何人か手伝いの子がまだこの会社に残ってたんだけど、
そのうちの2人が同い年の女の子だったの。


私、たくさんいた手伝いの子たちとぜんぜん仲良くなかったけど、
この2人ともそうだった。


性格的に合わないっていうのもそうだったんだけど、
別に一緒にいても面白くないし。


必要最低限は話すけど、仲良くはなかった。
ただ、社長とか幹部クラスの人達とかと話すよりはまだ安心出来るところもあった。
彼女達は別にそこまで私に興味なかったからね。


ただ、彼女達も仲良くしようとしない人間にそこまでいい感情抱く事もなかったみたいだし、
しかも私が社長に相当気に入られてるのにそれを全く有効活用しない事も
不思議で仕方なかった様だ。



この2人、私に対して

「あのへんな子の事はほっといて、私たちは有言実行で行こうね。」

って妙な連帯感を持っていたらしい。

 


ご自由にどうぞ。





この子達、会社のお金でパリとかN.Y.とかに研修に行ける事に興味があるみたいだった。
だから他の手伝いの子みたいに早々に去らずに残ってたのか。



これ、私にはちょっとよくわからないです。
パリに興味なかったわけじゃないけど。



私、この会社のお金で行くパリに興味なかった。


いやむしろ


こんな会社のお金で行くパリはまじで屑。







パリはこの当時からほんの数年後、自分のお金で行きました。



この2人、その後ほんとに社員で5~6年ここにいたとしても
必ずしも研修メンバーに選ばれるわけではない。
運よく努力が実って行けたとしても、得るものより失うものの方が多い。
それに、そんな人生楽しくないと私は思う。
そんな有言実行何がいいんだよ。


さっさとこの会社去って行った手伝いの子達の方が賢いように思えるし、
辞めるタイミングうかがって去り遅れたとはいえ、
私も結局この会社を去る事が出来て
しかもそこからそんなに年数開けずにパリ行ったんだから
私の方が有言実行だよ。



人生、後になってみないとわからない事ばかりですわ。








しかもこの会社にいた当時、


19歳橘 (この先の人生どうやって生きていけばいいかわからない・・・。)


相当迷走していた。



私の活動期間は40歳から(正確には43歳以降からだが!)なので、
当時まだ20歳にもなっていなかった私は、
あと20年以上もどうやって生きていけばいいのかと途方に暮れていた。
こんなどうでもいい会社に関わってる場合じゃなかったんだよ。




19歳橘 (去るタイミングを・・・。)



迷走中だった。