ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

半安息日

その人とは当時会社で隣同士の席で
一緒に仕事をしていた。



正直あんまりこの人の事好きじゃなかったけど、
この人、私から何かを得ようと毎日かなりコツコツやってた。


私、皆に真似されがちな人。
本人達はいいと思うから真似するんだろうけど、
あんまりその事で相手の為になってない気がする。
それがずっとひっかかってる。




そんな中でこの人は少し違っていた。




しかもこの人とは当時じっくり話した方がいいと思うタイミングが訪れた。
それ以来根気強く毎日話してたら、その人は顔つきもかなり変わって生活も変わっていた。


驚いた。
(一番驚いていたのは本人とその家族だけど)


これはその時のその人と私がいた環境が功を奏した事もあったし、
何よりこの人が賢かったからうまくいったような気もする。


当時、私に出来る事など今以上にたかがしれていた。
だから自分の限界と相手の枠を理解した上で話す事でうまくいったような気がする。




私、誰にどれだけ特別扱いされても心が満たされた事なんかない。そのせいもあって、どうすれば喜ぶかわからない人と皆が戸惑うのだ。


しかも皆が私の真似してもあんまり嬉しくないし、むしろ気持ち悪いと思ってしまう。



上記の人の時みたいに相手を良く変化させる事が出来ればいいのに、ほとんどそんな事出来ない。
ずっとそこ変わらない。だからずっと引っかかってる。



人と接する時、その人が何を持って生まれてきてるか知りたいのに、なんだかよくわからん人が多い。



それは、小さい頃からこうして生きれば社会で通用するからとか、これが常識だからとか、そればっかり教え込まれて育ってるからだと思う。何より、ほとんどの親は子供をよく導いてあげられるだけの知恵がない。そのご家庭によって程度の差があるだけで、基本こんな感じだろう。それですらないとこもあるけど。


うちの親もそうだよ。(この日記読んでくださってる方は、いったいどういう育ち方したらこうなるんだと私の事を思ってると思うけど、そこは私も多くの人と同じだよ。)


そうじゃない親御さんもいる事はいる。
どうしたらその子の為になるか真剣に考えて、
自分都合や偏った感情に振り回されない愛情を注いでる親御さんも世の中には確実にいらっしゃる。
でも大半はそうじゃないと思う。
(しかもそういう親御さんに育てられてもきちんと育つとは限らない)



たしかに社会で通用する為の事や常識も必要だよ。
でもそれさえやってればいいわけじゃない。
動物じゃないもん。
良い飼い主さんであればペットでさえ
個性を大切にされてるのに、
なんで人間の子供が個性をないがしろにされるのか。
いみわからん。



人とずっと話してると、その人がどういう親に育てられたかなんとなくわかってくる。私が知りたいのはそんな事じゃないんだけどな。




今までいろんな会社で働いてきて、
ブラックな職場にもホワイトすぎる職場にもいた事があるし、民度低い人達ともきちんとしてる人達とも一緒に働いた事あるけど、
ひとつところで会社員をずっと続けてる人達と話してても、何に幸せ感じてるかよくわからん。そして何の疑問もわかないというのも理解ができん。会社の中にいたら疑問ばっかりわいてきて仕事に差しつかえるわ。


かといって、
「自分は比較的恵まれてるハズなのに、
どうして何かが足りなくてこんなにも虚しいのだろう•••。」


と微妙に気付いてはいる人達の事も
私とは全く異なる人達なので理解に苦しむ。
接し方がわからない。