この人、日頃から私とメールのやり取り
をしていて、誤字脱字がほとんどないことに驚いていた。
なぜならメールのやり取りは、相当な量の文章だからだ。
どんなに量が多くても、人に読んでもらうという意識があれば、ある程度は誤字脱字をまぬがれることが出来る。うまい文章を書くのは難しいかもしれないが、誤字等で間が抜けた感じを避けるのはそれほど難しくないと思う。
しかし、この人の他の顧客達はそんな事もないらしい。
そしてこの人自体、メールのやり取りの中でミスをしていた。私の名前を間違えていた。これはよろしくない。ていうかダメ。
しかも1回や2回ではない。4回も5回も間違え続けていた。おそらくこれはわざとだろう。自分の分析の材料にするつもりだったんだろうなと思った。
誤字脱字なくきっちりメール書いてくるような人間は、他人の間違いにもすぐ気づいて反応するはずだと考えて、その反応を見るためだと思えた。
また、名前というのはおそらくその人間のアイデンティティーと密接に結び付いているのだと思う。それを間違えられるのは、存在を否定されたと感じる人も多いから、一般的にも名前を間違えるのは大変失礼という事になっているんだと思う。
悪いけど、いくら私でも、ほとんど初対面の時点で年上の人に注意したり諭したりということはしない。しかも一応目上という形態もとってるし。
そしてさらに悪いけど、わざと名前を間違えて私の気をひこうとする人もたまにいるので、この人にもその傾向があると思われた。
私、この人の事は嫌いではないが、それほど興味ない。だからどうでもいいと思ってしまった。
でも親切心で、お客さんの名前間違えない方がいいですよ、と言ってあげようとも思ったけど、そもそもわざとやってる可能性が高いのでやめた。もしこれがわざとじゃなくて素で間違えていたら、相当なバカだ。1回や2回の間違いは時にはあるかもしれないが、あまりに間違えすぎている。もしそうならどうしようもないので、やはり注意は不要という事になる。わざとやるにしても、名前でやってしまっているところに知能の低さを感じてしょうがないんだけど、本人はそれがいいものだと思ってるのだからそれこそしょうがない。
しかも、この人は、私のメールの誤字脱字なしを褒めると同時に、自分が私の名前を間違えていた事を、ついでに軽い感じで適当に謝っていた。これもわざとかもしれないけど、私の目にはすごくアホに映ったので、もうその件は無視でいいと思って、違うことを考えていた。
話題は、この人の秘書さんの事に移って行った。外出する時に、秘書さんに車で駅まで送ってもらうのだとか。その時の会話や、普段一緒にランチに行く時の会話なんかについて話してくれた。
そして私に秘書さんのセリフを言わせていた。この人、頭のなかで、私が秘書だったら、として考えてるな。不要。
また、この人のかつての顧客で、この人から相当いじめられて去っていった人達が何人もいる話も聞いた。
私 「相当やらかした人達だったんですね。でもそんな人達に別にそこまでする必要ないじゃないですか。」
その人 「いいやだめだ。それをするのが俺の役割だ。」
そんなどうでもいい人、自然淘汰される。動物でも、絶滅していなくなる種というのがいて、それは自然界で必要とされなくなったからなのだ。残念ながら、これは人間にも当てはまる。非人道的なただの考え方に思えるかもしれないが、実際そうなのだからしょうがない。
それがわからないのだろうか・・・?
むしろ自分の為に報復しているようにしか見えない。
この人は、それが自分の役割、とまるで人を巻き込んでは裁く権能があたえられているかのような事を言っていた。
たしかにそういった権能が与えられている人はいて私はそういう人を知っている。でもそれはこの人じゃない。
(人の一生はないがしろにしていいものじゃないって言ったのに・・・)
私はふつふつと沸いてくる怒りを抑えるのに必死だった。
この人は、私と出会えてよかったと言っていた。それは人の一生が尊いものだからと深く理解しているからだと思ったのにな。
たしかに、この人が怒る顧客は、この人に相当失礼だったり、裏切るようなことをするほどの人達かもしれない。でも、この人がやっている事も、私の目には罪深い事として映った。
(しかも結構個人的な感情で動いてるな・・・。)
この人自身、自然淘汰に対して本能的にとてつもない恐怖心を持っている人だった。なのに他人が自然淘汰される事についてはわからないらしい。もしくは待てないのか。また、自分のそういった要素に気づいてないようだった。だからこそ、結構関わっておきながら自分に関心のない者・自分に敬意を払わない者にはとてつもなく反応するのだろう。
この人、おそらく近いうちに私の事もいじめ始める。そう確信した。