ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

弟子にされそうになった話

hotakatachibana2018-12-04

カフェで話し込んでたら、わりとすぐ打ち解けて、この人はだんだん素の状態になってきた。さっきまでの紳士的な対応はお客様用だったのか。ていうか私もお客様なんだが。





この人はおもむろに1枚の写真を取り出した。会社を引き継いだばかりの頃の自分だといって見せてくれた。「ほんとは何回か会って仲良くなってからじゃないとみせないんだけどな」と言っていた。本人的にはあまり知られたくない過去の自分の姿らしい。私は別に何も気にならなかったけど、唯一目に留まった事がある。



(昔からこういう目をしていたんだな。)




なぜ見せたくないものを初対面の私にわざわざ見せるのか。


この人だけじゃない。男女問わず、初対面なのに私の事を信用しすぎる人が多すぎる。


たとえば、男性は皆自分の財布を投げてよこす。手渡すとかじゃなく、投げてよこす。なにあれ。ていうかおまえは誰だ。



女性は皆バッグの中に財布と携帯入れたまま、ポーチだけ持ってバッグは私の目の前に置いて御手洗いに行ってしまう。
私に責任が生じて負担だということにぜひ気づいて欲しい。





この人は財布ではなかったが、心にしまっておきたいはずのものを出してきた。


私がそれほどこの人に関心が持てないことを少し申し訳なく感じた。




(この人はたぶん・・・。)




私はこの人が私の依頼を真剣に受けてくれるだけでなく、何を目指しているか気づいてしまった。げんなりした。





話は、この人の社長時代のライフスタイルに移った。会社を復活させるために、もちろん休みはなし、1日18時間働いたそうだ。



別にびっくりはしなかった。だって私も新社会人だった時は毎日1日18時間、日によってはもっと働いてたし、休みの日はほぼというか全くなかった。転職した次の職場も社員だったけど、結局1日18時間どころかそれ以上の勤務は変わらず、休みはあったけど、会議で出勤させられた。あまりに大変すぎて眠れなかったので、しょっちゅう1日おきにしか睡眠取れない癖がついてしまった。そんな生活を10年くらいしてた。



この人は会社員じゃなくて経営者なので、そういう意味ではたしかに雇われてるだけの人とは比べ物にならないストレスがあるんだろうなと思った。それと同時に冷静に思い出してみれば、私がいた職場のストレスは、経営難の会社社長のストレスといい勝負かもしれないと思った。質の違うものは比べにくいのだけれど、あきらかに私がいた職場は、世の中の多くの職場と異なっていた。



だから、この人の苦労話聞いても、そうですか、とあっさりするしかない。



ちなみに、私が社員で働くのを一切やめた後で、雇用形態問わず、あらゆる会社で働いてみたんだけど、皆が言うほど大変じゃないと思った。それで、一時的に自分の時間を有効に使うために、1日おきにしか睡眠とらない生活を数ヵ月続けてみたの。休みももちろんなしにした。日中は普通に元気に出勤して、寝てないことは誰にもばれなかったんだけど、まさにこの時、脚が痛んで仕方なかった。36時間も起き続けてたから。でもそうやってがんばったから今いろいろと有利になったんだけど。







たぶん、この人は1日おきにしか眠らない生活は無理だ。1日18時間働いたというのも、そういう日もあったということで毎日ではないのかもしれない。実際そのような言い方だった。



会社をたたんだ後、病院に行ったらしばらく絶対安静の診断が出たそう。点滴も打ったとか。医者の診断は患者側の伝え方でどうにでもなるし、点滴も別にどこも悪くなくても普通に打ってもらえます。


ちなみに私は、どんなに大変な思いした後でも普通に生活して病院とかには一切いかないです。だって病気じゃないし、医者側も同情求める患者は診断が面倒だと思う。


私の方が大変な生活をこの人より長い期間していた感はあったけど、それはあえて言わなかった。私の主観とこの人の主観は違う。本当の事は本人にしか分からない。


ただ、あまりに大変な思いをすると、自分よりも大変な思いをしている人はいないと思いたくなるのはわかるけど、そういう思考回路になったところで何も生み出さない。



私は、自分の忍耐力や精神力はまれなものだったけど、使い方を考えた方がいいと考え直した。





この人は、自分の過去に味わった思いを誰にも理解出来ないだろうと思っているけど、それと同時に優しく寄り添ってもらえる事を強く望んでいる人だと思った。






こういう人、この当時他にも何人か私の周囲にいて、えらく私にこだわっていたけど、私の方は相手にしなかった。


このコンサルタントの人は、教養があるし、私を助けてくれるというスタンスの人だったので、会話も成り立ったし普通に接する事が出来たのだけれど。


カフェでこうして話をしながら、なぜこの人が、実際に会う前から私にこんなにも入れ込んでいたのか深く理解した。