ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

老後の心配は10年以上前にやめました1

私、老後の心配全くしていない。
必要なし。
(私世代で老後の心配してる人ってあんまりいないとは思うけどさ)
今後も一切必要なし。




そんな私でも、31歳くらいの時は老後の心配していた。


当時50代~60代の人達と話していた時期があって、


「老後資金が・・・。」

「老後の生活が・・・。」

「老後の健康状態が・・・。」


と話すその様子があまりに忍びなかった。






そんで当時同じく30代だったけどだいぶ年上の人と話している時に、


31歳橘 「やっぱ老後の事考えると早めに準備し始めた方がいいよね・・・。」


って言っちゃったんだ。

老害に洗脳された。




年上30代知人  「どうしたんですか橘さん!!まるで50代の人みたいだよ・・・!!」泣







そう、当時私は一時的であったとはいえ老後の心配をしていた。


しかしそれはすぐに無駄だと思い直した。


そもそも私かなり忙しかったので、
毎日一生懸命1日1日を大切にする事に必死だった。
ある程度ヒマじゃないと老後の心配とか出来ない。


いいや自分は忙しくお勤めしてきた、と言う人もいると思うけど、
どこの会社行っても私の目にはもっと出来るのに・・・と見える事が多かった。
中小企業だと超働かされるところもあるからその限りではないけど、
大企業だったらだいたいにおいてぜんぜん余裕。


それなら老後の心配するヒマはあるよね、と思ってしまう。
それより時間を有効に使って何かを一生懸命やる方がいい人生になっていきそう、そしてそれが結果としていい老後につながっていきそうって思った。


勤務中にうっかり1人分以上の仕事を押し付けられないかぎり、
普通に勤務していられるので
勤務時間外はいくらでもいろんな事が出来る。
仕事たくさん振られて
毎日残業したところでせいぜい1日12~13時間くらい働けばいいだけだからぜんぜんいける。


私の様に極端に疲れやすい体質でもないなら余計になんでも出来そうだ。


なのになんでみんな会社の仕事もそこそこしかしないのに勤務時間以外ものんびり遊んで適当に過ごすだけ、みたいな感じなんだろうと不思議だった。




自分の思い通りにいかない事ばかりだったとしても
ひとつひとつの積み重ね、1日1日の積み重ねが大切なので、
なるべくそれを大切にしたい。
それをないがしろにして老後だけなんとかしても
そんな人生になんの意味があるのか、と思っていた。



老後に時間が出来たら好きな事に没頭しよう、みたいな考え方があるけど
実際にそれ出来てしかも幸せに生きてる人どれだけいるのか。
人生振り返った時、超後悔しそう。

そもそも老後になるまでの人生を適当にしておきながら
いい老後を送れるわけないと思っていた。



普段からやってないと。
なんらかの制約があって出来ない期間が続いても
出来る時まで考え続けないといけない。
何年も何年も何年も。



しかも私は10代の頃から個性・才能を伸ばす事にしかほぼ興味なかった。
それこそが人間が人間らしく生きる為に必要なものだと思っていた。
これはただの好奇心旺盛ではなく
出来る出来ないの問題でもない。




だから、いろんな会社でいろんな人見てて、
私の眼には異様に映る事が多かった。



しかも中には
「お金にならない事やってるやつは頭おかしいか、金持ちの道楽。」
みたいに言う人もいて
彼らからは私の方が異様に見えてるんだなと思った。
(私は会社では基本自分の事は話さない。皆があまりに興味示す為、うっかり答えてしまったことがあった。)



しかし実際、ずっと会社で働いて
なんにも考えずに会社の人やテレビの情報を鵜呑みにして生きても
いざ老後になってどう生きていいかわからない・・・となるのではないだろうか。←20代の頃からの人生観。




一時的に老後の心配をしてみたりしたけど、
そこで老後の心配などというものは優先順位がかなり下だと気づいたのだった。





そこから7年の時が流れ・・・。



それは真実だったと4年前に確信した。
その時、そういえば私だいぶ昔に老後の心配してた事あったなと思い出したのだった。



うまくいかない事も多いけど、私が正しかったんだと心から安心した瞬間だった。