ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

人生に一長一短とかないです

成功している有名な人達を見ていて、
彼らは選ばれた幸せな人達なんだと私は思っていた。
でも、彼らは私達が考えるほど幸せではない、らしい・・・。



よく、得るものが大きいほど、失っているものも大きいと言われる。



例えば、地位と名誉を得たけれど人間関係がボロボロだったり、
ありあまるほどの富を得たけど大病患っていたり、
表面は幸せそうに見えて内面は何かに苛まれていたり、等々・・・。



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ちょっと前までの私は、そういう極端な生き方をしている人もいる、
でも全て手に入れて幸せな人生を送っている人もいるはず、と思っていた。
これは半分当たっていて半分外れだった。




現時点で成功して有名になっている人達は得たものと同じかそれ以上、
何かを失う人生を送っているのだという。ていうかほぼそれ。御愁傷様です。



彼らは裏の事情によって成功している。
そうではない才能ある一般の人達も、ある面では成功していても、
ある面では思い通りにならないもしくは苦汁を味わうものだという。
前者は間違ったものに依り頼んでいて、後者は自らの力のみで成している。




ところが、そのどちらでもない、
全ての望みを叶えても何かを失うということもなく
幸せに生きる方法があるのだという。ていうかある。
私、これを知った時、とてもストンと府に落ちたのを今でも覚えている。



もしかしたら、出会う人出会う人が何かを得るために(主に生活の安定)
あきらめた人生を送ってるのを見ながらも
心のどこかで信じていたのかもしれない。



また、私には素地があったような気もする。



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皆が私を見ていて、
ちょっと感性の鋭い人や賢い人なら、
「たいていはこれが備わっている人はこれがだめなはずなんだけど・・・。」
とか
「一人の人のなかにこの特性とこの特性が両方存在しているはずはないのに・・・。」
とか思っている様だ。



私のブログ読んでいる人の中にも結構いると思うそういう人。



なるべくそういう感情を呼び起こさない様な内容で書いてるつもりだけど、
文章って結構その人が出るものだと思うのであやしいな。



対面だと、直接私に文句が言えると思うので自由にしている。私自由人だから。




極端な人だと、面と向かって
「欠点がないのが欠点だって言われない?」と言ってくる人もいてほんとうっとおしい。
そんなわけないじゃないか!



また、面と向かって「むかつくやつってよく言われない?」と言う人もいて、脱力することもある。
それは、言われない?と聞いているあなたが私に対してむかつくと思っただけで、
必ずしもしょっちゅういろんな人からむかつくと言われているわけではない。
もっと言わせてもらえば、この人の知能では私の欠点が探せなかったから、
粗探しを頑張った上での苦肉の発言だということがよくわかるお疲れ。




たしかにたまにいるよ直接私にむかつくむかつく、うざいうざい、言ってくる人。
でもそういう人の方が結構清々しいし、料理しがいがあるなあ、と振り返って思う・・・。



別に私、普通の人だし、特別な要素が少ない、いやないな今のところ。
でも素地はあるんだと思う。だからそこに皆違和感を感じているはず。




何かを得たら何かがだめになるという生き方は実は真実ではないのに、
それを選ぶ人が多すぎるという事だ。私はそれが嫌だったので、
どんなお得そうなことでも、これは違うと思ったら近づくのをやめた。
だから私は出世も成功も出来なかったんだけど、
大正解だったしすごく守られていたと思う。




とりあえず今後も全部よし、みたいな感じで進んでいこうと思います。後は程度。
とりあえず小さい成功でも全部よし、みたいな感じだと相当幸せだけど、
それだと自分さえよければいいという世界だしね・・・。
現在進行形でこのブログの読者さんに提示出来るくらいの程度感ならよかったんだけど、
なんか次元低いね。ダイエットと同じ感じで明日からがんばる。
だから今日は何も考えずにあんみつ食べる。


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