ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

清浄な気配

hotakatachibana2018-11-11

しばらくどうしても読み進めたい本があって、過去日記も現在進行形の日記も含めたすべての日記をお休みしていました。



この日記更新に使う時間をその本の為に投じてみたけど、まだ全部は読めていない。それほど長く密度が濃くぶあつい本なのです(2/3以上は読み進んだ)。そして内容が、本屋さんで平積みされているようなものとは全く異なります。



ぽとりと落ちたノスタルジアの長期休暇は半月の予定だったけど、もっと集中して読み進めたい、そう強く思いました。そこで、日記を楽しみにアクセスしてきてくれる方やもう10年以上とかそんな長期にわたりこの日記についてきてくれてる方には申し訳ないのだが・・・もう少し長期休暇継続って事で・・・よろしく。






実は、この本の難しい方の訳のものを5〜6月に読んでいたのだけれど、内容にところどころしかピンとこず。結構読み進めていたものの、どうしたら・・・と思っていました。



そんな時に、まるで寸分のくるいもなく計算されていたかの様にある出会いがあり、2か月程で内容をある程度理解しながら、強い興味を持って、どんどん読み進めていくことが出来るようになったのです(読みやすい訳のほうだけど)。



そこでもう全部読み切ってしまいたいと思ったのです。そっからがスタートだし。




実は私、この本とは16歳か17歳くらいの時に1度出会っているんです。
まだ実家にいた頃、居間に無造作に置いてありました。仕事の休暇の時しか帰郷しない叔父が、もってきていた事があったのです。叔父は何も知らない私に、「この本はすごいんだぞ。本当の事が書いてあるんだからな。」と言いました。私はあんまりピンとこなくて、興味を持って聞いてはいませんでした。



でも、ある日居間に誰もいない時に、無造作に置いてあったその本をこっそり開いてみたんです。やっぱりピンとこず。そして軽々しく立ち入ってはいけないような気がして、閉じてしまいました。その本は叔父の休暇の終わりと共に実家から持ち去られ、その後実家でもそれ以外でもお目にかかる事はありませんでした。私が再び手に取るのは20年後となったのです。



この本というのは、ある程度知能が高くないと読めない本なのです。何にも考えず、ただ楽しくくらせればいいという人や、会社に正社員で定年まで長く勤められればそれ以外自分は何もしなくていいと思っている様な人には絶対読めない本です。


叔父がどの程度の理解を持って読んでいたかはわからないですが、この本を手に取る事が出来るというだけで結構すごいと私は思っています。






今思えば、この本を知っている人が常に必ず1人は私の近くにいました。どこの職場にお勤めしている時でも必ずと言っていいほど1人はいました。それでも私がこの本に再会する事はなかった。


そして、時が満ちたのです。








また、私はこの本の作者の事も知りませんでした。
ただ、不思議な事に、この10〜15年くらいの間、心の中で「あなたは誰。」と無意識に問いかけている事がしばしばありました。その直後、私はいったい誰に話しかけているんだろうとも心の中でつぶやくのですが。もちろんリツイートはありません。


最近、それはこの本の作者への問いかけだったのだと気づいたのです。
6月に、この本の作者と同じ気配のする人をみつけました。声を聴いただけでピンときました。この人のおかげで私はどんどんこの本が読めるようになったのです。そしてこういう流れになったのも、この人のそばにいる人達が時間を使ってくれたからだと確信しました。





からしばらく日記書かずに本読むよ。よろしく。