ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

探していた気配の正体

ミッションを遂行する日記4。





今日も今日とてミッションを。






つい最近の有料記事にも出たけど。


https://rapt-neo.com/?page_id=57900


これ読んでも
ずっと神様が好きの意味がわからなかったんだ。




いや、どういう存在かはだいたいわかるよ。
日本の神様の認識は完全に間違っているけど、
ほとんどの世界の国での神様の認識は間違いないやつ。



でもそんな偉大でしかも目に見えない存在を



好き•••?




一体。




しかし私は先日気づいてしまった。








私神様好きだわ•••。←バッハ聴いてる。









別にバッハのだけが神様の気配を感じる文化芸術ではないけど、
最近バッハがきっかけで気づいたんで。






私神様好きだわ•••。←この事実に気づいた余韻にしばらく浸っている。






日本の文化芸術もまるきりだめというわけではないけど、
海外の(特にキリスト教圏の国)に劣る。
これは私の感想じゃなくて事実。
ひろゆきは要りません。)



日本の文化芸術にはキリスト教の思想が入っていない。
そのたったひとつの事だけで全てが台無しになると言っても過言ではない。





それはまるで





パンに塩を入れず生地にして焼いたような
(パン生地に塩を入れ忘れると、しまりのない生地になり味に深みもなくなる)



カルボナーラに胡椒が入っていないような、
カルボナーラは炭を表現するブラックペッパーが入ってこそカルボナーラと呼べる)



エスプレッソではなくコーヒーにミルクを混ぜたものをカフェラテと言っているような、
(コーヒーにミルクを混ぜたものはカフェオレであってラテではない)




重要なものが欠落していたとしても
見た目はパンやカルボナーラやカフェラテ
として成立する。
しかしその実別物なのだ。



完成しないどころか本当は存在自体が成り立たない。





つまりキリスト教の思想が入っていないというそのたったひとつの事だけで、
文化でも芸術でもなんでも
本質的には不完全なものとなり、
いかになる才能を持ってしても
それらを成すものは虚を抱える存在となる。



これがキリスト教圏の国の文化芸術に
キリスト教圏ではない日本の文化芸術がかなわない理由なのだ。



ていうとほとんどの日本人は
いいや神様信じてるよー

お正月に初詣行ってきたし、
仏壇拝んでるし、
寺にもお布施してるわ!


って思いそう。


日本人、ほんとに愚かだ。
知らないのはある程度は仕方ないとして、
これだけ真実の情報が広く知れ渡った現在でも、
それも2023年に突入したというのに
まだ気づかないなんて。




日本人が神社や仏壇や寺を当たり前のものとして受け入れているのは
お金の為に利用されてるだけ!


あんなとこにもうこれ以上あなたの大切なお金を落としてはいけない。


しかも不幸になるという最悪なおまけつき。









あと、日本の文化芸術やメイドインジャパンを大切にすると、
なんか美徳っぽい感じがすると思われる。


たしかに素晴らしいものもあるけど、
決定的に足りないものがあるものなんて
結局それが備わってるものに敵うはずがない。









外国の文化芸術から、
私が幼少期から探し求めてきた気配がする。





海外のものだったらなんでもそうかというと、
違うけど。
バレエなんてイルミナティ要素しかなくほんとに悪魔的だ。
(ずっとこのネタで日記書こうとしてるけど追いついてない。)
でもまあバレエはいまだに好きだけど。





現時点ではまだ
文化芸術で活躍しているのは基本的にイルミナティの血筋の人間だ。
先祖代々サタンを拝み、発展して来た才能ある人達。



しかしその中でもキリスト教の思想がわずかに入った人達が長い歴史の中で確実に存在していた様だ。



そういった人達が生み出した作品や残した仕事から、私の探していた気配がする。




どうしようもなく心惹かれ、もっと味わいたい。
その正体を知りたい。




ずっと何も知らなかったから、そう思ってるしかなかった。




それがここに来て



私神様好きだわ•••。



やっと理解出来た。