ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

街歩きの戸惑い3

ちなみに礼儀正しく親切な人々と遭遇するのは
私の住んでる区とその隣の区かなあ。


なんか皆さん雰囲気から違うもん。
挨拶だけじゃなくて会話したりする事もある。


たくさん見ず知らずの人に色々親切にしてもらってるけど、何年か前に
私が足先血虚でバランス崩して路上で倒れた時、
本気で心配して声かけてくれた人が親切過ぎて印象的だった。
私とは違うな。

(客観的に見たらめまいとかで倒れた様に見えただろうから
びっくりはすると思うけど・・・。)



私もよく倒れる人に遭遇するけど、
(自分が倒れる事はめったになく、倒れる他人に遭遇する方が多い。)
私が手を貸すのはいろいろ考えての事でもあるんだ。
100%親切心、100%思いやりかというとそういう事じゃない。


倒れている人に対して、
電車の中であれば、駅員さんの対応がいまいちだったり、
路上であれば通りがかりの近所の人がいまいちだったり、
いつも接している家族の人があまりわかってなかったり、


あきらかに私の方が出来るのであれば手を貸した方がいいと思ってしまう。
それぞれがちゃんと出来てれば、関係ない私が出ていく必要ないよ。


自分しかいない時はなんとかするしかないけど。
(瀕死とかだと素人の私にはたぶん助けられない)


去年の路上転倒での遭遇の時に
最初私しかいなかったからかなり戸惑ったけど、
途中から近所の人が来た。
協力して最善の対応が出来るかと思いきや、
倒れた人に対して害になる様な事ばっかりして、
あれはほんとない。


本人は悪気なく行ってるみたいだったけど、
そしたらそれは普段からベースが悪なのに自分は善だと思い込んでるという事になる。
気づかないって恐ろしいな・・・と自分を顧みてしまった。





先月の路上転倒の遭遇の際は、
倒れてるご主人らしき男性と自宅から出て来た奥さんらしき女性の体格差がありすぎたんだ。
そして奥さんの話す内容で普段からどういう感じかだいたいわかったので
私が手を貸した方がいいと思った。



このご主人、リハビリのお迎え待ちで玄関から歩行器使って出てきてしまったところで転倒したらしかった。
近くで接して気づいたんだけど、
結構身体が硬くなっていて、しかも自力で座位から立位になる事が出来ないばかりでなく
自力で臥位から座位になる事も難しい状態だった。



リハビリというのはケガ等でリハビリしている可能性もあるけど、
ほぼほぼ加齢による事に対するリハビリだろうなと思えた。



その場合、元気に歩けていた頃の感覚で動いてしまうという事があると思う。
しかも男性は根本的に「自分は出来る」という考えがあるので。


つまり、奥さんか他の家族の誰かが支えて歩行器につかまらせて立たせて
目を離したんだと思う。


その時に自分で不安定な段差を歩いて外に出てきて歩行器ごと転倒した、という流れだろうな。



奥さんが話すのを聴いてると、いつもこのような事になっているらしかった。
であれば、このご主人は歩行器で立たせたら絶対に目を離してはいけない人という事になる。


そばについて見守り出来ない時は一人で立たせておいてはいけないのだ。
たぶん、もうすぐリハビリのお迎えが来るからとりあえず立たせて、
その瞬間に何か用事を思い出してご主人のそばを離れたんだろうな。



その用事が後回しに出来るなら後回しにしてご主人のそばを離れない。
どうしても外せない用事なら多少手間でも一度ご主人を座らせてその場を離れる。



1日に何度も何度も立たせて座らせてというのは体力的にも年齢的にも厳しい場合もあると思うので、
支える人に合ったやり方をしないといけない。



一般的に女性の場合、積極的に自ら学んで役に立つ事を身に付けようという考えにはならないので、

こういう事をリハビリのプロの人達は指導してあげないと
家族はわからないのかもしれない。




素人の私がほんの数分同じ場所にいただけでこれだけ情報拾えたのだから、
直に一定の時間接するプロの人達が気づかないはずない。



あの日がリハビリの初日だったのかな・・・。
ちゃんとプロの人達が細かいところまで気をまわしてくれるといいんだけど・・・。


こんな風にいろいろ考えてしまう。


街歩きの際は考える事が多すぎてほんと戸惑うんだよ。