ぽとりと落ちたノスタルジア

最近の日記は数年前の日記を書いている。時々リアルタイム日記を挟みます。

*キャンディ売りのような人

hotakatachibana2006-11-15

アルケミストを読み解く5。


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p53の場面です。

〜〜〜彼はゆっくりと市場の中を歩いて行った。商人たちが露店を組み立てていた。少年はキャンディ売りが店を出すのを手伝ってやった。キャンディ売りは顔に微笑みを浮かべた。彼は幸せで、自分の人生がどんなものか知っていた。そしてその日の仕事をはじめようとしていた。彼の笑顔は少年に老人のことを―彼が会ったあの日の不思議な年老いた王様のことを思い出させた。「このキャンディ売りは、将来旅に出たり、店の主人の娘と結婚するために、キャンディを作っているのではない。彼はそうしたいからやっているのだ」と少年は思った。老人と同じことを、自分ができることに、彼は気がついた―それは、ある人が、彼の運命にそっているのか、それとも遠く離れているのか、感知することだった。彼らを見るだけでわかった。とてもやさしいことなのに、今まではやったことがなかったな、と少年は思った。店を組み立て終わると、キャンディ売りは少年に、その日彼が作った最初のあめをくれた。少年は感謝してそれを食べ、歩き始めた。まだそんなにいかないうちに、店を組み立てていたあいだ、キャンディ売りはアラビア語で話し、自分はスペイン語で話していたことに気がついた。それでも二人はたがいに理解しあっていた。〜〜〜





このキャンディ売りのような人に出会うと、体の力が抜け、居心地がよくなります。そして目に見えない惹き合うものが相手と私の間に流れるのです。逆に、自分の本当に望む生き方から離れている人と出会うと、その人の心の悲鳴が身体にしみてきて、大変です。せっかくいい時代にいるのだから、どうか望むように。


言葉が通じないはずなのに、会話が成り立つことが、私の身にもしばしば起こります。そういうとき、とても楽で、嬉しくて、不思議なのに現実。なかなか貴重な体験だと思う。


人生のなかで、何人のキャンディ売りと出会えるのだろう。